
先月末
ところが、奇っ怪な議論はまだ続いていたのである。
議論の全体を読んでいるわけではないことを予めお断りしておくが、ほぼ書き終えていた長文を復活させることにする(以下)。
nekopon
僅かなりとも発想を汲み取って頂ければ幸いである。
私のような単純な者が言うのも妙だが、人間社会は複雑である。
たとえば政治的あるいは思想信条のうえで、大原則とされることがいくつもある。
民主主義・人権・思想信条の自由・政教分離・報道の自由・機会均等などなど。
でもそれらの大原則は、けっして自明なものではない。
それら大原則を貶めて言うのではない。
それらひとつひとつが、人類が歴史の中でさまざまな惨劇を経てこそ得た教訓の結晶なのだ。
しかし大原則が複数あれば、その境界が微妙になることもある。
原則Aも大原則・原則Bも大原則、だけれども特定条件下ではAとBの概念が抵触する(あるいは争点になる)のである(たとえばプライバシー…人権の一部…と報道の自由の抵触)。
繰り返しにもなるが、要はAやBがどんな大原則であろうとも公理(自明)ではない経験則なのであって、そのためにAとBが抵触する場合もあり、だからこそ人間社会が複雑なのである(多様性に満ちて興味深いとも言える)。
現代社会において原則間の抵触が起きたとき、白黒つけるのが司法制度である。
別に大原則と大原則の抵触でなくとも、原則同士の間にはいくらでもグレーゾーンが生じるのであるから、それに決着をつける制度が必要なのは明らかだし、歴史的にも司法掌握が権力に繋がる例が多々あったことからもその重要性は明白である。
グレーゾーンができるだけ生じない法令が整えられることが理想とも言えるが、所詮グレーゾーンが消滅するわけでもなく、逆にグレーゾーンの存在を許さないほどの法令の硬直化は有害であることもまた歴史的教訓である(たとえば法家思想)。
そういう視点から見れば、司法制度というのは原則の運用機関なのだ。
運用というと行政の役割と考えがちだが原則(法令)の適用を大きな視点で見るなら、現場での運用は行政、現場での判断が困難なときの運用が司法の役割と捉えるのが適切だ。
運用と言うといい加減な判断と思われる向きもあろう。
しかし司法制度自体も運用なのであって、グレーゾーンが不可避なものである以上は避けることのできない存在である。
更にそのいい加減さこそも大切な仕組みなのであって、運用の幅を認めなければ法家思想に陥らざるを得ない。
そのいい加減さを保証するのが、これまた民主主義社会では大原則の三権分立制度だという見方もできる。
人類は(たとえ先進国社会でしか認識されていなくとも)多大な時間や犠牲と引き替えにこれらの教訓を学び取り、それらを現実社会でできるだけ有効に働かせる仕組みとして、民主主義を基本とする法治制度を築いた。
もちろん完璧ではない。
しかし経験則に寄らざるをえないのは当然のこと、完璧などあり得ないのであって、完璧でないことを難じる謂われもないのである。
さて、ここからが本題なのだが、現代社会ではときに、人類の経験の結晶たる大原則の、どこか一部だけを金科玉条とする人間(勢力)が現れることがある。
視野狭窄とも言うべき現象であって、原則Aのみを最優先に掲げることが、人類の経験の結晶のその他大半を反故にすることに気付いていないのである。
2例を挙げよう。
今日の日本では、平和を最大級の大原則に数え上げることに異論のある人はいないであろう。
しかし、平和がかけがえない"ほど"大切であると考えるのと、平和のみが大切であると考えるのには大きな開きがある。
平和と(たとえば)信教の自由との抵触である。
極論すれば、信教の自由など(もちろん生命・財産・名誉などを含む)を守るためにはときに闘いも辞さずという立場と、他国に隷属(植民地化…あらゆる自由・財産・権利を消失)しようとも絶対闘わないという立場の差という風にして対立が露わになる。
十分な想像力(空想とは違う)を持った人間なら後者(植民地化容認)の立場を取ることはあり得ないと私は思うのだが、太平洋戦争の強烈な記憶を楯に、平和至上主義が相当に幅を利かせているのが今日日本の現状であろう。
なお後者の立場を率先して誘導している勢力(の一部)は、他国勢力を日本に導き入れる功績によって自分たちだけは特権的立場を付与されるに違いないと期待している(甘い期待など通用しないのだが)と想像するのは穿ちすぎだろうか?
もちろん逆に自分達の反社会的行為が成就しないことを確信して行動する勢力(そちらの方が多数派か?)もいる筈で、道義的にはどちらがより悪質が判断し兼ねるところである。
なお、平和至上主義の派生形態として憲法(第九条)を金科玉条に掲げる勢力もあるというか、平和と憲法第九条を共に金科玉条にするのが常であって、どちらも同じである。
更にその勢力は政教分離をも金科玉条に加える傾向があるが、その他大原則(たとえば人権や信教の自由)を無視すること甚だしく、最早論じるに値しない。
但し現在の日本国憲法にグレーゾーンが大きすぎる(グレーゾーンを越えた運用の疑いが濃い)という点が大問題であることについては私も同意する。
しかしそれは、憲法(第九条)至上主義者によって憲法改正を阻まれてきた結果、拡大的運用によって日本がようやく正気を保っている結果なのであって、憲法至上主義者(というより憲法護持絶対主義者)が批判すべきことではない。
憲法はじめ法律も司法制度も、人間や人間社会のためにあるべきものであって、断じて逆ではない。
日本人と日本社会のために極大限まで日本国憲法の解釈・運用を広げるのは、人類の経験の成果の正しい適用である。
そしてそんな(憲法改正を阻まれることにより必ずしも望ましいと言えない)極大限の運用を強いられているのは、主に憲法至上主義者の暴力的言論(たとえば「ダメなものはダメ」)のためであり、彼の勢力は時に言論に留まらない暴力をも繰り出して平和至上主義を護持しようとするのである(甚だしい自己矛盾)。
もう1例は、アメリカである。
人権・環境などの原則も前面に出すことがあるにせよ、民主主義偏重が甚だしい。
民主主義が価値を発揮するには、その前提となる文化(たとえば法令運用の実体)が不可欠なのであって、民度の低い国に民主主義だけ強制してみたところで好ましい結果を得られるわけがない。
アメリカ合衆国が民主主義を広げようと願っている動機が(個別には多々疑問があるにせよ)主に善意であること、私は別に疑わない。
またアメリカにとって民主主義というのは建国の礎そのものなので、民主主義至上主義に陥りやすいことも容易に理解できる。
しかし善意の方が始末に悪いというのは世の中によく見られる現象なのであって、それらに十分思い至らないというのは歴史の欠如が引き起こす悲劇である。
更に言えば、強烈な反米姿勢を露わにするベネズエラの発する声明(たとえば「北朝鮮は他の国と同様に武器の実験、開発を行う権利がある」)に論理的に有効な反論ができないのである。
なお幸いにしてベネズエラの姿勢は国際社会に黙殺されているようだ。
なおこの視点は単独でもとても重い話なので、いずれ別項で書くことになると思う(のでここでは深入りしない)。
民主主義は人類が学び取った最も重要な大原則(のひとつ)であるに違いないにせよ、それだけに偏ってはいけない。
そしてまた、(原則間の抵触発生はおくとしても)重要な大原則を人類が既に学び尽くしていると考えるのも誤りである。
所詮は経験則、新たな事態が従来の経験則の組み合わせで対処可能な範囲を超えていてアタリマエなのである。
そうは言っても(たとえ成功がおぼつかなくとも)、新たな大原則を獲得するための犠牲を最小限に留める努力を怠ってはならないだろう。
そのような意味において私はアメリカの努力を(全面的にではないにせよ)評価するにやぶさかでないが、手段があまりに稚拙でそこに怒りを覚えざるを得ない。
但しそれも「ひとつの大原則」たる民主主義のもたらした結果であって、ときに(たとえば対イラク戦争を念頭に/無秩序の元では)原則同士の境界調整が困難なことを示す実例なのである。
それなりに機能している司法・行政制度の下にある我が身の幸運を噛みしめたい。
憲法至上主義者の唱える視野狭窄の論理でその幸運を危うくされるなどもっての外である。
http://nyanko.iza.ne.jp/blog/trackback/21132
2006/09/21 12:59
おにゃんこ様
折角のご紹介でしたので拝読しました。
立派なご議論ですね。退屈しました。飽系ですか!
――― こんなん意見も有るようですが ―――
299 名前:エテ公:2006/07/12 04:32 ID:ENbjEvvLtM
http://hidach.kbnet.jp.org/test/read.cgi/hachi/1128674306/
+++
送信者: "望月孝夫" <取敢えず隠蔽>
宛先: "鳩山 由紀夫" <yuai@tky.hatoyama.gr.jp>; "民主党 本部" <info@dpj.or.jp>
件名 : 戦争も法律も知らない閣僚たちよ!
日時 : 2006年7月12日 4:27
鳩山由紀夫様 民主党国会議員各位殿
北朝鮮のミサイル発射をうけ議論されている敵基地攻撃の能力保有問題について、9日のテレビ番組で麻生外相が繰返したという従来の政府見解、10日の記者会見で安倍官房長官の意見、11日の記者会見での額賀防衛庁長官の見解は、幼稚な空想・妄想・妄言にすぎないと思いましたが、11日の小沢さんの記者会見のビデオを拝聴して若干安心しました。
戦時国際法では、相手の敵意を承認した時点で両国は「交戦当事国」になっており、法理論以前の問題として戦争に勝たなければならず、敵の基地を攻撃するのは当然の兵法です。
然し、日本国民は憲法第9条2で交戦権を認めていないのだから、相手の敵意を日本国の政府・国会が勝手に承認することは禁止されており、局外中立の立場で「黙認義務・避止義務・防止義務」を履行しなければならない、それが、国民の総意です。
ここで、「中立国の防止義務」を履行する上で、相手(交戦当事国)に日本国の領土を使用させないために、如何なる武器・装備(例えば、原子爆弾・誘導弾・弾道弾・長距離爆撃機・航空母艦・戦闘機・等々)が必要かは、日本国の領域の形状的事情を考慮したとき、それが「戦力(戦争を遂行する能力)」に該当しないように個々に検討する必要があると思います。
尚、実際の事態に臨んで、相手と交戦することが已むを得ないときは、国民の総意により特別に交戦権を認めて、正々堂々と防衛戦争を実施すればよいと思います。
(続く)
2006/09/21 13:01
(続き)
従って、先ず、事前または可及的速やかな事後に、別に交戦権を認めるための国民投票についての法制度の検討と制定が必要だと思います。
然し、「敵」という言葉を軽々に用いたり、「敵」という言葉に軽々に応答したりする、閣僚や国会議員には、この微妙な問題の検討に参加する資格はないと思います。
(終わり)
2006/09/21 16:10
憲法の一部条文だけを聖典と崇める人の神学論争に付き合う気はありません。
そもそもここは、その不毛さを掘り下げようとしたエントリです。
なお事情をご存じない方は、以下エントリを参照されたし。
http://nyanko.iza.ne.jp/blog/entry/38236/
2006/09/21 17:37
おにゃんこさん:
焦点恍惚症候群の写真やさんと論争するつもりは、まったくないけど、その筋の指示に従って、過去の発言を調べていたら、おにゃんこさんが折角招待してくれたのに気が付かなかったところがあったから、小弁を垂れに寄らしてもらっただけだから、どうかお気遣いなく…。
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いや~、絶妙の時期に絶妙の新ネタですね。 分祀推進派・アンチ靖国派は狂喜乱舞 でしょう。asahi.comも11:12の記事なのに、4時間以上経過した15:13現在で、まだトップに置いてるしww ネタ元の…
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by 樂
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