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驚き呆れ少々滅入る

2009/07/11 20:01

 



結構いいことを多々書いている方だと思うのだが、こういう展開になるとは。
私の人を見る目がまったくなってないこと、思い知らされる結果となった。

痛感。
イテテテッ (>_<;

深く自戒を込めて、とある議論の末に削除されてしまったコメントを、以下に再掲しておくことにします。

どう転んでも愉快な話ではありません。
従って、やせ我慢A氏もしくは福島香織記者に特に関心を持っている方あるいは酔狂な方を除き、当エントリーの以下本文および元の話題を読むことはお薦めしません。


----(以下、昨晩"ここ"に書いて消されたコメントの再掲)----



これが通じなかったらもう黙って見ていようと思いますので、ちょっと力を込めて、但し別の角度から書いてみましょう。

これほどの悪罵を浴びせられてなお、私はやせ我慢Aさんに対する肯定的な読者です。
やせ我慢Aさんの常日頃の論理性への信頼の方が上回っていて、「勝手に持ち上げ、勝手に落とされても」などとも言われましたが、絶賛の部分は社交辞令でも揶揄でもない正味のもの。
そこを読み誤ってはいけない。

その私がこのエントリーにクレームを差し挟んだというのは、余程のことと考えて貰いたいところです。

ちょっと飛躍しますが、先に私の論難に対してやせ我慢Aさんが福島さんへの批判ではないと述べられたとき、私は即座に「ことによると、やせ我慢Aさんご本人の意識としてはそうなのかもしれませんね」と認め、それ以降それを前提として話を進めています。
それはやせ我慢Aさんに対する信頼のなせる業で、勝った負けたの議論でなら相手のウィークポイントを見逃しはしません。

そこで私は、やせ我慢Aさんご自身にその意識はなかったのだろうけれど、エントリーとして起こされた文章を見れば、福島さんへの批判と読める、そう読んで当然の状態になっているという点を難じて来ました。
やせ我慢Aさんはその点を明確には否定していない、しかし認めたのでもないというところが意識のすれ違いの要であると思われます。

やせ我慢Aさんに対する私の論難の焦点は、あくまでエントリー本文で謂われなき批判を福島さんに浴びせる結果になっていること。
コメントの内容は傍証としては関係するけれど、指摘の焦点はあくまでエントリー本文です。

ご本人の意識としてそんなつもりではなかったという思いが強いのでしょう、この点、直近のコメントで福島さんを軸に触れてはいるものの、相変わらずやせ我慢Aさんはその点を明確に否定せず認めもしないままです。

しかし、改めてこのエントリーに寄せられたコメントを見てみてほしい。
途中で伊勢守さんが「脇から失礼します」と周辺の話題へ転じた流れを除き、ほぼすべて皆がこのエントリーを福島さんへの批判と読んだ(部分?)に絡めてのコメントです。
このエントリーは、やせ我慢Aさんの意識とは関係なく、ともあれそう読めるのですよ。

そしてそれが、謂われなき(言い換えれば無理筋の)批判であると感じるからこそ、それを私は問題視しています。
その背景には私も福島さんのファンであること、そして私の信頼する論客であるところの、やせ我慢Aさんがなぜに!?というのが共に大きいのですよ。

私に対する悪罵は、とりあえずお花畑を日頃相手にし過ぎた副作用と思って読み流しましょう。
老婆心でしょうが、日頃99%の共感を持ってあなたの文章を読んでいる私の諫言から、やせ我慢Aさんがなにも汲み取ってくれないとすれば、それはやせ我慢Aさんまたは私、あるいは双方の性格に致命的欠陥があるということ。

実はね、その理屈っぽいところ、自らのロジックを曲げないところ、御迷惑に思うでしょうが、自分ににているなぁ~と常日毎感じているのですよ。
だから対面するとソリが合わないのかもしれないし、欠陥があるとすればきっと双方なのでしょうね。

冒頭、ちょっと力を込めてと書きつつ、上から下に書いただけです。
さて、どこまで通じることやら (・ ・;


----(以上、消されたコメント)----


なお、イザ!のコメントと本文では改行の扱いが異なるため、その点のみ(同じに見えるよう)編集を加えましたが、文章は昨晩"ここ"に書いて削除されてしまったものから一字一句変えておりません。

また、ことによってコメント同様削除されるかもしれませんが、先方に一旦はトラックバックも送っておくこととします。




カテゴリ: 世界から  > 中国・台湾    フォルダ: ノンセクション

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コメント(1)

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2009/07/12 15:40

Commented by kinny さん

まあ、困ったもんだね。
「違和感を憶える」「抵抗を感じる」etc..

小生は、じつは日ごろから、こうした雲を掴むような言い回しをみずからに禁じていて、ゆえに読者は、小生の断定に対し、「抵抗を感じ」れば、いつでも反論できるハズである。

理由は簡単で、小生は、自分にプライドを持っているからだ。

読者に、自身の思い込み、主に気分を、伝えるだけ伝えておきながら
「しかしこれは私の個人的な意見です」
と逃げる卑劣を、みずからに許さないためだ。だって
「~という言い方には、抵抗を憶えます」
てな言いっぱなし、こんな卑劣はないよね(笑)
ああそう、私は抵抗を憶えません、だから書きました、としか言いようがない

「私はこの人に嫌悪を感じていますよ」
という隠微なメッセージを周囲に醸し出そうとする行為は世の中に多いが、村社会らしいイナカ者特有のモノ欲しげな退行的自己表現であって、それをブログでなすなど、ヒマ人を通り越して、馬鹿の骨頂だ。

正しく指摘を受ければ、あるいは十のうち一理あるだけで、それを示し、相手の主張を表出してみせる自信、それが男である。

客観を装って、相手を気遣う風を見せるなど、女子供のすることだ。
と、まあ、いつものように言い切るわけなんだけど、どう思う?

もちろん小生とて、自己愛が異常に強い背伸びガクセーのような、最初から物事を平たく理解できないタイプの人は問題外だ(笑)カウンセラーじゃないのでね

 
 
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